☆いつの間にか父親になった男
齢13のとき、初めての彼氏ができた。
「好きです」「付き合ってください」という正しい通過儀礼を通してできた初めての存在だったので、わたしの中では彼が初めての彼氏という認識である。
はじめに注意しておくと、わたしの話には、同じ学校の友人はほとんど出てこない。
わたしには学校に友達が少なく、他校の友達ばかりだった。
彼はそんな他校の友達グループの中の一人で、二つ年上。
これから14歳になるわたしにとって、2つの年齢差はとても魅力的だった。
渋谷のセンター街で二人でアイスを食べるだけで自分が世界で一番幸せだと思ってしまうほど、彼氏であるその人にうっとりしていた。
彼のことが好きだったかと言われると、多分好きではなかったし
彼がわたしを好きだったかというと、きっと好きではなかったんだろう。
あの時の幸福感は、どちらかというと彼氏彼女という存在に浮かれぽんちだったがゆえのものだったと思う。
きっと、たぶん、お互いに。
夏のお誕生日を迎える時、付き合って3ヶ月目の記念日があった。
彼氏と迎える初めてのお誕生日に、浮かれぽんちが絶好調だった覚えがある。
デートのお誘い、正確に言えば、そして今にして思えば、デートのお誘いではきっとなかったんだろうが、そんな連絡が入った。
話したいことがあるから、今度の土曜日にファミレスにいこう
そんな感じだったと思う。
話したいこと、という言葉への不安要素が一切ないあたり、若さを感じる。
ただ純粋にお誕生日をお祝いしてもらえると思っていて、信じて疑わなかった。
待ち合わせのファミレスに行く前に、わたしは4回着替えた。
自分の少ない私服の中で、一番可愛く見える組み合わせを探す旅は、4日に及んでいた。
当日ギリギリまで悩み、「もしかして、はじめてキスとかしちゃうかも」と、
スキップに近いテンションで待ち合わせに向う。
このことから、いかに浮かれていたかを、今でも微笑ましく思える。
待ち合わせ場所には、なぜかわたしの友人もいた。
仮に夏帆ちゃんとする。
夏帆ちゃんは、とても可愛い同い年の女の子だった。
彼に告白された時、真っ先に報告した相手で、初めて彼氏に合わせた友人だった。
彼氏の次にメールをしていた相手でもあったかもしれない。
この後に及んでわたしは、「二人でサプライズお祝いしてくれるのかしら」と思っていた。痛い、痛すぎる!
ドリンクバーを注文して、カルピスを注いだ。
到着してから、カルピスをもって着席するまで、二人とも何も言葉を発していなかった。
脳天気なわたしは言ってしまった。
「夏帆ちゃんがいるとは思わなかった~!!」
二人の眉間が、少し動いた気がした。
まだまだ察せないわたしは、ここまでの道中であった面白いことについて、ずっと喋っていた。
どんなに地獄だったろうと思う。言いたいことが言い出せず、さらに言いたい相手がしゃべり続ける。
二人には、今でもこの察しの悪さを詫びたい。
15分くらいたったろうか、少しの沈黙が訪れた時、口を開いたのは彼だった。
「ごめん、子供が出来てしまった」
その一言は、全く理解し難い言葉だった。
小学生の頃からセックスについての知識を得ていたわたしは、子供を作るためにセックスをすることを知っていた。
でもわたしは、彼とセックスどころかキスさえもしていない。
「…え?誰の?誰と…?」
夏帆ちゃんだよ!!とひっぱたきたい。書きながら、穴があったら入りたい気持ちになるくらい恥ずかしい。
ただ俯くばかりの二人は、それきりまた言葉を発さない。
自慢の妄想力であらゆる妄想をした結果、ようやく夏帆ちゃんだと気付いたけれど、それでもまだ状況の理解が進まない。
「わたしが彼女じゃなかったっけ…?」
痛恨の一撃だったと思う。
夏帆ちゃんは今にも泣き出しそうなほど震えていた。
夏帆ちゃんとあなたも付き合っていたの?
わたしの彼氏はあなたではなかったの?
子供が出来たって、夏帆ちゃんとセックスしたの?
彼女はわたしではなかったの?
「彼女ははるだった。でも夏帆との子供が出来てしまった、別れてほしい」
よく考えれば、酷い話だ。
浮気されていて、子供まで作られて、しかもそれが自分の仲良しの友達で。
人生史上一番酷いお誕生日プレゼントだった。
でも中学生のはじめての恋愛は、きっとそこまで強い愛情がなかったのかもしれない。
状況を理解したわたしは、二人への心配へ気持ちが向いた。
夏帆ちゃんは母子家庭だった。
紹介された彼氏に一目惚れをした夏帆ちゃんが、わたしにそれを言い出せず、言えないまま見つからないようにお家デートに誘い、
母が不在なのを良いことにセックスをし、
セックスへの味を占めてしまった彼が猿へと進化し、こうなった。
本当に自業自得だとは思うけれど、なぜだかわたしは二人への怒りを持たなかった。
自分の浮かれ具合が恥ずかしくなったのもあれば、
純粋に夏帆ちゃんが好きだったからなのもあるだろう。
「結婚するの?体、大丈夫なの?まだ14じゃん、わたしたち」
彼は16だったが、いずれにせよ子を持つ年齢ではないくらい、さすがの馬鹿でもわかることだった。
結果として、わたしは失恋し、彼と夏帆ちゃんは両家の親から強い叱責を受けた。
初めての彼氏で、初めての略奪をされた。
この頃からもう歪んでたのかもしれない。
その事をもし、怒り狂い、泣けていたら、感情の回路が歪まないまま成長できたかもしれない。
今となってはもうわからないし、どうしようもないけれど、
この時強く怒りを覚えられなかったあたりから、きっと何かがおかしかったんだと思う。
わたしはいじめられっ子だった。
小学4年生から、高校1年生まで、いじめられなかった年はない。
陰口を言われ、嘘の噂を撒き散らされて、物を隠され、捨てられた。
いないものとして扱われたこともあった。
世界中の人がわたしを嫌いだと、疑心暗鬼になっていたわたしにとって、夏帆ちゃんは大切な存在だった。
他校の友達グループを、わたしはなくしたくなかった。
夏帆ちゃんに嫌われたくなかった。
友達に裏切られた、と思いたくなかった。
ここでわたしが泣けば、二人ともわたしの元を去ってしまう、それだけは避けたい。
そんな気持ちだったんじゃないかと思う。
もちろん、当時はそこまで考えが及んでいないので、
ただの阿呆に見えたかもしれない。
けれど、「一度内側だと思った人間を、何があっても嫌いになれない」という呪縛が、このとき植え付けられてしまったのだと思う。
後日談として、ふたつある。
正しい順序は何一つ踏めなかったけれど、夏帆ちゃんは出産し、時を待って入籍をした。
救われるのは、この二人が今も仲の良い夫婦として、わたしの友人であり続けてくれている事だ。
もうひとつは、神の使いの王子様に、恋をするきっかけになった出来事があったこと。
別のグループとして、王子と大親友は、既にわたしの友人だった。
初めての彼氏の話ももちろんしていたし、
浮かれぽんちに付き合ってくれていた。
わたしは、別れたことと、起きた出来事を報告した。
大親友は怒り、王子は哀しそうな顔をした。当の本人が気にしていないのだから、大丈夫だよ、そんなことを言ったと思う。
王子はこう言った。
「きっとお前は無意識のうちに我慢している。泣きたい時泣けないと、あとから辛くなるだけだぞ。辛くなった時、もうぶつける先がないと、それはお前の中で鉛として残る」
「ただ、怒りをぶつけなかったことは、そいつらにとっては救いだったかもしれない。これから幾度と怒られるだろうから」
「お前は優しいな」
わたしは泣いた。
その涙が、何をもっての涙だったのかはよくわからない。
でも暖かい何かに包まれたような気がして、ホッとしたのかもしれない。
自分のした事を褒めてもらえて、嬉しかった涙なのかもしれない。
なんでビンタのひとつもくれてやらなかったんだ。
そんなふうに周りから言われていた。あいつは馬鹿すぎると。
王子だけが、わたしの優しさが間違いではなかったと、そう言ってくれたことが、嬉しかった。
だから泣いたんだろう。
この時、わたしはきっと彼に恋をした。
消化不良の怒りが鉛として残る。
その言葉にもう少し深く意識を持っていたら、もう少しまともな人間になれたかもしれないな、とも、思うけれど。